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作:春比埜霞

そしてまた月は満ちる

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未評価

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最終更新:2021/3/30

作品紹介

記憶をなくし、山の上で孤独に機織りをする娘みち。日照りの続く夏の日、突如現れた大男に殺される。死ぬ間際、彼女は失っていた幸せな記憶を思い出す。幸福だった昔に帰りたい。無念のあまり死にきれない彼女へ、煌々と輝く満月が語りかける。 「わたしが、かわいそうなあなたの夢を、かなえてあげる」 月の神に憑りつかれた彼女は、死後の世界を彷徨う。そこで出会った青年との運命が、やがて様々な人を巻き込み世界の形を変えていく。 自らの生まれや弱さに苦しむ人々が、それでも光を目指して進もうとする様を描く、純文学的ハイファンタジー群像劇。 ※縦読み推奨 ※完結済み作品の投稿(約45万字)

R15残酷な描写あり伝奇和風純文学中華

評価・レビュー

二重の複声性:新山カスミ「そしてまた月は満ちる」への評

 新山カスミ「そしてまた月は満ちる」は出色の文学作品である。短評を物するにあたりまずこの点を強調しておきたい(ここで僅かでも関心を抱いた方は拙評は読まず先入見なく作品を読み始めて頂きたい)。  かかる言明をした以上「ではいかなる要因が本作を逸品たらしめているのか」という疑問に間主観的妥当性を持つ回答を与えねばならないが、それを限られた紙幅でなすのは容易ではない[*0]。なぜなら、この作品の特長は傑出したものに絞っても五を超え、その一つ一つが多弁を誘うからである。  故に本評は「二重の複声性」に限りテクストに詰まった魅力の一片を紹介したい[*1]。「複声性」は文学批評で用いられる概念だが、「二重の」複声性はどのようなプロパティを意味するのか。それは、物語内において登場人物一人一人の声・意識が単一の支配的メッセージ≒作者の思想に統御されることなく各々独自の価値を有しながら並立している――これは普通に言われる複声性である――だけでなく、それぞれの登場人物内においても対立、矛盾し合う複数の声・意識が併存している特質を指している[*2]。圧縮していえば、本作では人物間と人物内との二つのレベルで多様な思考が緊張関係を織りなしている。  この二重の複声性は地籟の如く作品全体に鳴り響いている。だが、それは聊か異様な事態に聞こえるかもしれない。というのも、そこでは物語の成立が一見不可能に思われるからだ。しかし、焦ってはならない。物語は形をもってたしかに立ち上がっている。だが、どのようにしてか。直感的に言うことを許して頂くならば、新山は雑多な声たちを統制しようとする欲=執着を離れてそれらが語り出すのに任せながら、それ自体生成変化する準-安定的な枠として物語を紡ぐことによってそれをなしている[*3]。  個人的回顧と共に結語を述べたい。評者は文学研究を専門としながら、文学の可能性は既に尽くされてしまい、現代には昔の変奏を作る以外に選択肢がないかもしれないとの懸念を抱いていた。だが、「そしてまた月は満ちる」はその疑念に大きな揺さぶりをかけてくれた。あえて「揺さぶり」と決定的ではなく含みある言葉で感銘を表したのは、新山の更なる飛躍に確信と期待とをしているからである。 ***  新たなる才能の登場を告げ、早晩放たれる光彩を予言する一文で以て、評を閉じることとしよう。  そしてまた月は満ちる。 【註】 [*0] 紹介と一つの読み筋の提示という評の目的上、題・本文の計は千字を上限として書かれた。 [*1] 「複声性=ポリフォニー」ついては評者が「そしてまた月は満ちる」初読後に寄せた感想でもその特長として指摘したが、再読を通して「二重の複声性」とした方が表現としてより精確だと考えるに至った。なお本評では論述の流れを落とさぬよう固有名詞を省略しているが、文学理論や文化批評で用いられる「複声性=ポリフォニー」概念とは、ロシアの思想家ミハイル・バフチンの着想に由来するものである。バフチン(1995)、北岡(1998)などを参照して頂きたい。(なお、訳語は一般的な「多声性」ではなく、「複」の字が適切と判断し、「複声性」とした)。 [*2] バフチンにおける複声性が、キャラクター間だけでなくキャラクター内のそれをも潜在的には既にしてカバーしているという解釈が提出可能であることに評者はむろん反対しない。念のため書き添えておく。 [*3] これを可能としている能力は作家としての新山が持つ最大の美質であるが、現在の評者にはその詳細な分析を論理的な言語で以て明晰に展開する用意はない。今後の課題として記しておく。なお「準-安定的」の表現は千葉(2013)に負っている。 Works Consulted バフチン,ミハイル.『ドストエフスキーの詩学』.東京:筑摩書房.1995. 北岡,誠司.『バフチン―対話とカーニヴァル』.東京:講談社.1998. 千葉,雅也.『動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』.東京:河出書房新社.2013.

5.0

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