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@オノログ
作:尾八原ジュージ
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最終更新:2020/9/4
『偽教授宇宙杯』に向けて書きました。 これはSFなのか…? ジャンルがよくわからなくてすみません。こどもの気持ちに戻りつつ書きました。
上質な異文化交流ものでした。デティールからいくと、年間平均気温摂氏25度の花咲き乱れる惑星パレパレは鬱鬱とした気配がまるで無く、パレパレ人は造形、言語ともにとてもラブリーです。もっとこの惑星の文化や人を見せて、と言いたくなるような設定は異文化交流ものを書く上での大きな強みだと思います。好きなところはパレパレ人の子供が退屈して脚を伸ばしたり縮めたりして遊ぶところです。その身体を持っている子供ならすごくやりそうなことで、これを書けてしまうのはすごいなと思いました。パレパレの描写だけで十二分に楽しめます。 さて、本題に入ります。異文化交流とは何か。私は三つフェイズがあると思っています。 ①各種の限界は抱えつつも異文化の人々と交流を図る。 主人公の翻訳機が旧式であり、“相手の言いたいことは何とかわかる”程度であるのは、それ自体コミカルであるとともに、異文化交流に必ず付いてまわるある種の限界を示していて、いいギミックだなと思いました。互いに完全に分かりあうことはできないけれども、意思疎通を試みることはできるというバランス。 ②相手側と自分側の差異や類似点に気付き、異文化への理解を深める。 地球人とパレパレ人では身体のつくりも言語も全然違うけれども、小さい子供が「うんこ!」と楽しげに言うようなところは同じで。その辺りの気付きが主人公だけでなく読み手であるこちらにとっても心動かされるものでした。 ③それによって自分側の世界に対する眼差しが変わる。 自分とは異なるものを見ることによって、自分の世界に対する認識が従来とは変わるということ。 ……ここが本作の難しいところだなと思った箇所で。話がこの③に乗りそうになって、乗りきらないんですよね。もちろん私が勝手に考える三つのフェイズに乗らなければならない決まりなど無いのですけど。 主人公はパレパレ人の子供と無関心な父親の様子を見て、自身の子供時代とほとんど構ってくれなかった父親のことを思い出して腹を立てたりして、「こうなったらこいつをかまってやろう」なんて思う。自分で自分のこども時代を少し救う話になって、違うドラマが走り始めるんです。そして“遠い異星の地に、日本の子供と同じく「うんこ」という言葉で爆笑できる子供が誕生したことに、不思議な感慨深さと喜びを覚えて”幕。この最後のところで主人公が自分の過去のあれこれを分かりやすく解消したりしない所が、この作品の穏やかなところでもあり、大人なところでもあるなと思いました。 基本的には異文化交流のフォーマットにきっちり乗りながら、最終的にはちょっと横に軟着陸する作品。とても楽しみながら読みました。
辰井圭斗
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