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最近、注目があつまったレビュー!

僕は小説を書くのが好きで好きで堪らないヤツが憎くて憎くて仕方がない

光が差したように思ったんです

最初読んだ時救われたと思ったんです。でも、それは多分この作品を読んで救われたと言っている多くの人とは違った感想だっただろうと思います。 これしかないと思えるほどに好きだと信じていたものが、実はそんなに好きではなかった。これほど嬉しいことはないと信じて止まなかったものが、いざ経験してみると然して嬉しいものではなかった 小説だって昔は楽しかった時期があった、けれども今は――。 きっとこの作品を読んで救われたと言う人達はこのあたりに共感するのではないかなと思うのです。 けれど、当時の私は「小説を書くのが好きで好きで堪らないヤツ」であり、「書かざるを得ない呪いにかかっているヤツ」でした。だからその辺りのところは分からなかったのです。いえ、頭でぼんやりと掴みそうにはなっているのですが、それを拒んでいました。だって、それを理解してしまえば、自分の中にも確かにあると”発見”してしまえば、呪いが解けてしまいそうで怖かったものですから。 だけどこの作品は救いでした。ただ、素晴らしかった、美しかったというその点に於いて救いでした。姫乃さんは毎回溜息の出るような文章を書かれますが、この作品も例外ではありません。事情があってというか自業自得だったのですが、当時ウェブ小説を読むということに絶望していました。ウェブ小説というカルチャーを好きな分それはつらいことでした。でもこの作品が新着として届いて、読んで思ったんです。 「こんなものが読めるなら、まだ私は”ここ”にいてもいいのかもしれない」 私はこの作品に書き手としてではなく読み手として救われたのです。これが書き手の話であるにも関わらず、当時のただただ淀んでいくだけだった読み手としての私を救ってくれた、だからレビューにも「光が差したように思ったんです」と書きました。 「僕は小説を書くのが好きで好きで堪らないヤツらが憎くて憎くて仕方がありません。書かざるを得ない呪いにかかっているヤツらが羨ましくて仕方がありません」 とそう言うけれども、後半で「僕が今羨ましいと思っているのは──。小説を書くのが好きで好きで堪らないヤツだろうか。書かざるを得ないという呪いに縛られた誰かだろうか。心の中で、首を捻る。改めて自問自答してみると、どうにも違う感じがする」と思って、僕が今──羨ましいと思っているのはと、そちらを見るんです。 私、これ分からなくて。だって、上に書きましたけど私は前提が崩れているんですよ。ただ、今日ふとそこの部分を読み返して安堵しました。きっと、そちらが見つからなければつらかっただろうと思うから。それがあってよかったと思うのです。 未読の方にお伝えしておけば、この作品は呪詛を振りまくものではなく、光を差してくれるものです。長い間書き手(読み手)を続けていると大なり小なり葛藤が出てくるかと思います。少し読んではみませんか。 (2020年夏) 僕は今日自分の作品にこんな追記をしました。 追記:  今日、死のうとしている人に希望を語ってきました。僕自身が生の世界に安定しているわけではないのにも関わらずです。僕に出来る限りのことは書いたと思います。しかし疲れました。疲弊しました。なぜなのでしょうか。  僕はこれまで絶望という言葉を使うのを避けてきました。絶望という言葉は恥ずかしいです。軽々しく使うなよと思います。だからずっと「失望」と言って来ました。そちらの方がこれまでぴったりでした。しかし、今僕が感じていることははっきりと絶望に近いのです。  大きな暗闇が僕の心を占めています。僕は色んな作品に救われました。昨日も救われました。けれど、暗闇は全てを呑み込みそのままそこにあります。様々な作品が僕に死ではなく生の方を向けと言ってきます。ありがたい。しかし僕は思うのです。  そこはもう通り過ぎたよ、と。 でもこれを書いた直後に本作の通知が来て、読みに行ったんです。僕は自分の作品に戻ってもう一度追記しました。 再追記:  また素晴らしい作品に出会ってしまった。思わず手を上に伸ばしたくなる作品に出会ってしまった。僕はもしかしてこれをいつまでもいつまでもいつまでも繰り返して生きていくのではないか、とそう思った。闇はまた迫って来るのだけれど。 僕にとってそういう作品でした。ごめんなさいね、こんなレビューで。

5.0
0
辰井圭斗

12ハロンの閑話道【書籍化】

栗毛の背を追って

 昨今とあるソーシャルゲームの登場で、競馬熱が高まっている。  少女の愛らしさに魅せられ、レースに掛ける思いに熱を浮かされ、ついには現実の名馬の歴史に手を出す――そして、多くのプレイヤーは思うのである。「どうしてもっと早くに競馬に興味を持たなかったのだろう。手に汗握る戦いをリアルタイムで目撃しなかったのだろう」と。  この気持ちを満たすためにはどうすればいいのだろうか。当然、一つには現実の競馬で「推し」を見つけることが解決手段になるだろう。しかし、キミの愛馬は歴史的快挙を遂げてくれるのだろうか。勝つ馬が必ずしもいい馬ではないが、勝ち切れない馬もいる。悲劇的な最期を迎えない保証は? 誇り高き戦績を挙げるとして、あと何か月、何年ドキドキしなければならない…?  ウェブ小説を読み漁る刹那的で消費的なオタク(暴言)にとっては、短時間で補給できる栄養ドリンクもまた重要なのである。それこそハーメルンで連載されているようなウマ娘二次創作を読んでもいいが…架空馬に抵抗がないのであれば、手軽にかつ興奮して読める金字塔が存在するじゃないか! それこそが、『12ハロンのチクショー道』であり、その続編でここでレビューする『12ハロンの閑話道』なのである。  前置きが長くなったが、レビューに入ろう。  この作品の中心に置かれるのは、サタンマルッコの名を受けた3度目の生を送らんとする競走馬である。1度目の人生では色に溺れ、2度目の馬生では稀代の競走馬としてフランスで戦うも夢半ばで斃れる――このようなバックボーンを持つために特異な性格を持つサラブレッドと触れ合い、驚かされ、魅了される周辺の人物の視点から話が進行する。転生ものではあるものの、主人公の語りは非常に少なく、群像劇の様相を成している。  サタンマルッコの見せるコミカルな描写とは対照的な、競馬に関わる人々の熱い人間ドラマ――それも小心者のオーナー、馬を愛する厩舎の人々、勝負にすべてを懸ける騎手、喧しくも無責任だけど憎めない某掲示板の住民たち――が展開され、田舎のダークホースが中央のエリートや世界の強豪と轡を並べそして勝つ、王道ならではの爽快感がそこにはある。  これらの要素が、臨場感のある実況によって疾走感を表現したレース展開と絡み合い、応援したくなるサタンマルッコが描かれているのである。  さて、ならば本編の『12ハロンのチクショー道』をレビューすればよいではないかという意見もあるだろう。そこには、「閑話」と銘打たれ、作者によって蛇足とまで言われたこの『12ハロンの閑話道』が、その実無駄話などではなく、正統な続編であり完結編であるという事情がある。  本編の12パートと番外編を経て、私たちはサタンマルッコとジョッキーの横田の執念とも言える走りに心を奪われる。しかし、競馬は一騎のみで行われるわけではない。そこには魅力的なライバルたちがおり、サタンマルッコだけでなく、彼らについてさらに知りたい、熱くなりたいと考えるタイミングこそが、本編『12ハロンのチクショー道』が66/66となって読み終わってしまう瞬間なのである。  そして「閑話道」は、その要望に応える、より多くの陣営にスポットを当てた戦いであると同時に、痛快な競争馬サタンマルッコの旅路を終えるまでの物語である。  その内容にはあえて詳しく踏み込まないが、最終章ニジイロは思わず涙を流してしまうレースであった。  当該作品には、小説家になろう側で私より簡潔にうまく魅力を伝えた先行レビューが複数存在している。すでに布教が進んでいる作品について、この感情的なレビューが果たして効果的であるかは疑問符が付く。しかし、オノログという素晴らしいサイトの創設により、より様々な層の人々が「チクショー道」を読み、それだけで終えず、「閑話道」までサタンマルッコを見届けてほしいという一心で、『12ハロンの閑話道』にレビューを書かせていただいた。  ぜひ皆様には彼の馬生を堪能していただき、私とサタンマルッコの喪失感を共有していただければと思う次第である。

5.0
2
さーくるぷりんと