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一人は泥を見た。一人は星を見た。

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“二人の囚人が鉄格子から外を眺めた。一人は泥を見た。一人は星を見た。“


 作品のエピグラフに掲げられた、フレデリック・ラングブリッジの言葉。本作を読むまで私はこの言葉を知らなかったのですが、同じ立場の人間が二人いたとして、物事のどこに目を向けるのかはその人次第、という意を表したものだそうです。


 その日、二人の少年が死んだ。一ノ瀬真と柚木良平。柚木良平は肉体を、一ノ瀬真は人格を失う、という形でこの世から消えてしまったのだ。


 彼ら二人には二人だけの特異な“体質”があり、互いの右手に触れると人格、心が入れ替わり、互いの左手に触れるとそれが戻り、高校の同級生だった良平と真は、不思議な関係のまま高校の三年間を過ごしていく――。この能力とは距離を置きたい良平と距離を縮めてくる真の姿が、真逆な性格をよく表していて、印象的です。そして卒業式を明日に控えるその日、真から「最後にもう一度だけ入れ替わってくれないか?」と提案を受け――。


 ……と、語るのはここまででいいでしょう。ここからは初めて読むひとのためのもの。その面白さを奪うようなことがあってはいけない。


 自分自身を見失っていくような感覚、“良平“と同様の境遇に置かれるひとはいなくても、同じような気持ちを経験した記憶がある、あるいはいまそういう現状にいるひとは多いでしょう。そんな多くのひとが他人事にはできない“良平“が借り物ではない自分を見つけていく姿には、普遍的な青春小説として心に刺さる面白さを感じました。冒頭に掲げられたエピグラフは作中でも使われていて、物語の終わりに綺麗に絡み合っていくさまは、読みながらとても心地よかったです。

サトウ・レン

登録:2021/11/14 01:55

更新:2021/11/14 01:54

こちらはサトウ・レンさんが読んだ当時の個人の感想です。詳細な事実については対象作品をご確認ください。

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EGGMAN

終わりに見る光景は

〈おれはとてもしあわせだった。〉  終わりに見る光景がどんなものがいいかって、たぶん、終わりも知らない人間が気軽に語っていいのだろうか、とは思うのですが、でももしも終わりを前に、しあわせ、を感じるとしたら、彼が終わりに見たような色彩なのではないか、と感じました。  日本で発症を確認されたのがおそらく二例目とされる奇病中の奇病、俗に〈エッグマン病〉を発症した〈俺〉は、体が縮みハンプティ・ダンプティのようになっていく病魔に蝕まれながら、入院先で孤独に過ごした。そして退院の日、身寄りのない状況に困っている〈俺〉を迎えにきてくれたのが、幼馴染のモモこと桃園陽一だった。モモは縮んでしまったりはせず、そしてふたりは旅に出ることになった。……というのが、導入です。ですが、奇病の妙なリアリティ、旅の中で見る景色、感情を交わしていくふたりの姿の魅力は、縷々とあらすじを綴ってみたところで伝わるものではないでしょう。ぜひとも私のレビューなんかよりも、本文を読んで欲しいところです。 〈モモがペダルを漕ぎ出すと、世界の感覚が一気に変わった。最初はかなり揺れて気分が悪かったが、しばらくするとおれは残された手足を使って、クッションを敷いたキャリーの中で居心地のいい姿勢をとれるようになった。〉  何故、会社をひと月休んでまでモモが、〈俺〉と一緒にいることを選んだのか、そこに関する一応モモの口から語られる部分はありますが、必要以上に、詳らかに明かされることはありません。でも分かりやすい言葉を当てはめるよりもそのほうがずっと、心を寄り添わせやすい。  進行の続く病のいまを写し取るような変わっていく文体に、彼らのいまを感じ取りながら、幕を閉じて、切なくも静かな余韻に包まれる感覚がありました。

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サトウ・レン