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ほの暗さの先に、かすかな光彩が見える。

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 異界の裂け目から差し伸べられた手に引かれるように、気付けば読み終えていました。


 小説を読んでいて、どんな時に、〈しあわせ〉な感覚を得るでしょうか? それはもちろん読者それぞれによってまったく違う答えが返ってきて、それこそが小説の自由なわけですが、私は物語が言葉でできていることを実感させてくれる小説に出会った時に、そういう想いを抱く場合が多いように思います。小説は言葉でできている。実際に言葉にすれば当たり前のようにうつりますが、物語を読んでいる際中に、改めてその事実を実感する機会は、(すくなくとも私にとっては)そんなに頻繁にあるものではありません。まぁ何が言いたいか、というと、私にとって本作はそういう嬉しい気持ちを思わず抱いてしまうような作品だったわけです。


 過去の後悔や罪悪感といった心情が混じるほの暗く複雑な心情に、静かな恐怖が重なります。淡々と怖さや哀しみ、不安が綴られる先に、切ない情景とかすかな光彩が見えて、その余韻に浸っていたくなる作品です。物語にとけこむその文章の佇まいがすごく好きで、それは物語の導入をここで紹介したところで、伝わるものではなく、伝える自信も私にはありません。


 なので、こんな紹介文を読んでいる暇があるなら、ぜひ作品を読んでください。導入の文章の感触を心地よく感じたならば、言葉をたゆたう楽しみが、きっと待っているはずです。

サトウ・レン

登録:2021/11/14 02:02

更新:2021/11/14 02:02

こちらはサトウ・レンさんが読んだ当時の個人の感想です。詳細な事実については対象作品をご確認ください。

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EGGMAN

終わりに見る光景は

〈おれはとてもしあわせだった。〉  終わりに見る光景がどんなものがいいかって、たぶん、終わりも知らない人間が気軽に語っていいのだろうか、とは思うのですが、でももしも終わりを前に、しあわせ、を感じるとしたら、彼が終わりに見たような色彩なのではないか、と感じました。  日本で発症を確認されたのがおそらく二例目とされる奇病中の奇病、俗に〈エッグマン病〉を発症した〈俺〉は、体が縮みハンプティ・ダンプティのようになっていく病魔に蝕まれながら、入院先で孤独に過ごした。そして退院の日、身寄りのない状況に困っている〈俺〉を迎えにきてくれたのが、幼馴染のモモこと桃園陽一だった。モモは縮んでしまったりはせず、そしてふたりは旅に出ることになった。……というのが、導入です。ですが、奇病の妙なリアリティ、旅の中で見る景色、感情を交わしていくふたりの姿の魅力は、縷々とあらすじを綴ってみたところで伝わるものではないでしょう。ぜひとも私のレビューなんかよりも、本文を読んで欲しいところです。 〈モモがペダルを漕ぎ出すと、世界の感覚が一気に変わった。最初はかなり揺れて気分が悪かったが、しばらくするとおれは残された手足を使って、クッションを敷いたキャリーの中で居心地のいい姿勢をとれるようになった。〉  何故、会社をひと月休んでまでモモが、〈俺〉と一緒にいることを選んだのか、そこに関する一応モモの口から語られる部分はありますが、必要以上に、詳らかに明かされることはありません。でも分かりやすい言葉を当てはめるよりもそのほうがずっと、心を寄り添わせやすい。  進行の続く病のいまを写し取るような変わっていく文体に、彼らのいまを感じ取りながら、幕を閉じて、切なくも静かな余韻に包まれる感覚がありました。

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サトウ・レン