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いつか消えゆく私たちの――。

5.0
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〈その男はついに妻のことを忘れた。〉


 そんな冒頭の一文にはドライさがあり、どきり、とする。思えば記憶というのは不思議なものだ。絶対に忘れないと頑なに信じた記憶は意外にも簡単に消えてしまうし、あるいはどうでもいい、と片隅に追いやっていた記憶がふいによみがえることもある。記憶という概念は恐ろしく曖昧だが、多くのひとにとって何よりも大切なものになっている。だからこそ〈記憶〉というテーマが扱われた物語は、多くのひとの心を惹き付けるのかもしれない。


 ……ということで、本作も同様に、記憶を失いつつある画家の男を描いた掌編です。これだけ短いと内容に踏み込まずに感想を書くのが難しいので、ネタバレフィルタを付けましたが、味わいのある文章の読み心地の良さだけでなく、構成のうまさが印象的な作品でもあるので、ぜひ作品のほうを先に読んでもらえたら嬉しいです。


 いいですか?



 この作品には、〈絵画〉と〈手紙〉が重要な要素として登場します。〈手紙〉は本心を自らの口からは明かさなかった男の本心を知る手がかりとして、〈絵画〉はかつてそうではなかったけれど、彼にとってはある時期からもうひとつの意味を持ちだすようになります。


 心も記憶も失われていくのは怖い。それでもそこに確かなものを残すために、何かを残していく。男はその記録として、自身の職業として描いてきた〈絵画〉を選ぶ。


 読み終えた時、


〈あれは春のことでした。画家が集まるパーティに参加した次の日から、夫は今までの抽象画とは全く別のものを描くようになりました。それは風景であったり、人物であったり、まるで日常を切り取ったような絵を描き始めたのです。〉


 という道を選んだ男の気持ちを想像しながら、苦くも、切なく、静謐な余韻が残りました。

サトウ・レン

登録:2021/11/14 02:05

更新:2021/11/14 02:04

こちらはサトウ・レンさんが読んだ当時の個人の感想です。詳細な事実については対象作品をご確認ください。

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EGGMAN

終わりに見る光景は

〈おれはとてもしあわせだった。〉  終わりに見る光景がどんなものがいいかって、たぶん、終わりも知らない人間が気軽に語っていいのだろうか、とは思うのですが、でももしも終わりを前に、しあわせ、を感じるとしたら、彼が終わりに見たような色彩なのではないか、と感じました。  日本で発症を確認されたのがおそらく二例目とされる奇病中の奇病、俗に〈エッグマン病〉を発症した〈俺〉は、体が縮みハンプティ・ダンプティのようになっていく病魔に蝕まれながら、入院先で孤独に過ごした。そして退院の日、身寄りのない状況に困っている〈俺〉を迎えにきてくれたのが、幼馴染のモモこと桃園陽一だった。モモは縮んでしまったりはせず、そしてふたりは旅に出ることになった。……というのが、導入です。ですが、奇病の妙なリアリティ、旅の中で見る景色、感情を交わしていくふたりの姿の魅力は、縷々とあらすじを綴ってみたところで伝わるものではないでしょう。ぜひとも私のレビューなんかよりも、本文を読んで欲しいところです。 〈モモがペダルを漕ぎ出すと、世界の感覚が一気に変わった。最初はかなり揺れて気分が悪かったが、しばらくするとおれは残された手足を使って、クッションを敷いたキャリーの中で居心地のいい姿勢をとれるようになった。〉  何故、会社をひと月休んでまでモモが、〈俺〉と一緒にいることを選んだのか、そこに関する一応モモの口から語られる部分はありますが、必要以上に、詳らかに明かされることはありません。でも分かりやすい言葉を当てはめるよりもそのほうがずっと、心を寄り添わせやすい。  進行の続く病のいまを写し取るような変わっていく文体に、彼らのいまを感じ取りながら、幕を閉じて、切なくも静かな余韻に包まれる感覚がありました。

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サトウ・レン