現代ではSNSの普及により、相手の顔や名前を知らなくても交流出来るようになりました。
家族や友人と一緒の空間にいても、手元の画面を見るばかり。下を向きながら話すなんて日常茶飯事、そんなことも当たり前になってきました。
このお話では、主人公・池原悦弥とその友人・光蟲冬茂が、顔を突き合わせて楽しげに駄弁りながら飲み食いする場面が多く出てきます。ごく日常的な場面ですが、この『半笑いの情熱』という物語においては、とても重要な意味を持っています。
序盤からの『大学生編』では、囲碁部内での部員達との交流とその変化を描いています。
少し遠慮気味だったのが、顔を合わせるたびに段々と打ち解けていく。もちろん色んな人間がいる場ですから、和気あいあいとはいかず、衝突もあります。しかしそれを経て、お互いを知ることが出来る。
大学生という、大人と子供の境界線に立っている年齢の池原悦弥の人間的成長が見られるのが、この『大学生編』です。
対して以降の『小学生編』では、彼の過去と未熟さが描かれています。
その中身は、小学生として経験した出来事とは思えないほど心苦しいものです。「未熟だったから」では片付けられないような、彼が大学生となり部員たちと交流出来ていることが奇跡と思えるほどの、凄惨な過去。
今まで送っていた当たり前の日常が、ひとりの人間と相容れなかった故に大きく崩れていき、自分に牙を剥く。悦弥はそれに対し真っ向から立ち向かい、自分の考えを曲げずに押し通します。けれど数でも力でも負けている彼は体に傷を増やしていき、次第に心にも傷を負い始め、平気そうな顔でいなしていた彼の瞳からはいつしか涙が零れるようになります。
小学生編・秋での雨を願う場面は、無意識に心の中で流していた涙があったのではと思わせる、そんな切ない描写となっています。
そんな過去の苦い体験の合間、箸休め的に挟まれるのが、友人・光蟲と顔を突き合わせた飲み会シーン。
心を痛めながら読んでいた読者にとって一時の休息になってくれますが、悦弥にとってもまた救いと言えるでしょう。この『小学生編』は、悦弥が酒を飲みながら光蟲に語っている形式で綴られているからです。
人は、悲しい過去を隠したがります。それは二度と思い返したくないからです。
悦弥の小学校時代の経験もまた、同じでしょう。
けれど彼は、酒を交わしながら光蟲に語ります。聞き手である光蟲は、それに対し過剰に同情するでも涙するでもなく、彼らしい答えでもって返します。彼らのやり取りは軽妙で、普段のやり取りと大して変わりません。その反応がまた悦弥にとって心地いいのだろうと思わされます。
頑なに人に頼らなかった過去|(小学校時代)。
そして酒を飲みながら自身の過去を語る現在。
向き合いながらも人と人は、反発し合ったり意気投合したり、悦弥と光蟲のように半笑いを浮かべながら、互いの存在を心地よく思ったりします。
この物語を読んだ方にも、少なからず光蟲的な存在がいるでしょう。
読み終えた後にはきっと、向かい合って談笑しながら、「美味しいね」と笑い合いたくなることと思います。
登録:2021/12/17 17:24
更新:2021/12/17 17:21