一見、気軽な大人のボーイ・ミーツ・ガールともとれる本作は、死生という重いテーマを扱って、それでいて読みづらさを感じさせない。
主人公は、出産を間近に控えた妻を亡くして以降、何も出来なくなってしまう。死んだも同然だ。そんな彼が数年後、自力で産院へ行こうとする女性を助ける。それを因縁と呼ぶべきか、奇跡と呼ぶべきか、その女性の出産に立ち会うことになり、さらには彼女と再婚することになる。
ご都合主義の展開……という批判は当たらないだろう。なぜならば作中で、主人公の男性は出産に立ち会ってしまうからである。新しい生命が誕生する瞬間というのは動物の映像を見てさえ感動的だが、人間のそれは、やはり違う。
主人公は誕生の場に立ち会って生命の尊さを知る。
作者は、「失われた子の分も、自分がしっかりと生きていかなければならない」と決意する過程を丁寧に描くことによって、ストーリーに強い説得力を持たせることに成功したのだ。
男性の出産立ち会い率は約5割に達している(2013年のデータ)という。最近はコロナの影響で病人の見舞いに行くことすら制限されているから、出産に立ち会えるのかどうか知らないが、私の経験から言わせて貰えば、出産は立ち会った方がいい。夫の義務だとか、妻の苦しみを知るべきだとか、しかつめらしい理由などなくていい。状況が許すかぎり、赤ちゃんが生まれてくる現場は見るべきだと思う。
作中の主人公は生命の神秘を感じ、生きることについて考えた。私もこれが自分の子かと認識するとともに、この命は守らなくては、と思った。
個人的な意見だが、女性は妊娠してからずっと母親になっているのだろう。あるいは胎児の成長とともに、日々母親になっていくのかもしれない。
一方で男性は、出産に立ち合いでもしないと、自分が父親になったことを知る機会に恵まれない。どんなに本を読んだり調べたりしても、男性が生来持ち得ていない要素は、想像ではなかなか補えないからだ。
話を戻すが、主人公は見ず知らずの女性の出産に立ち会ったことで、生まれてきた子の父親に「なってしまった」のではないだろうか。先に父親となったのだから、その母がシングル・マザーであれば再婚するのもまた、ごく自然な成り行きだ。
舞い降りた天使は、まさに天からの贈り物であろう。そのおかげで主人公は見事に再生した。もしかすると悲しみと苦しみの底にあった年月は、彼自身が再び誕生するための妊娠期間だったのかもしれない。
登録:2021/12/25 14:39
更新:2021/12/26 09:15