語り手の「俺」(五郎)は、亮太、裕也(と一雄)と共にヤクザ事務所から逃亡し、亮太の実家の蕎麦屋に住み込みで働いています。
特別、不自由なこともなく、ダラダラ仕事をサボりながら、それなりに生活していますが、「俺」はなかなかヤクザ事務所での生活を忘れられず……。
嫌気が差して逃亡してきたはずだったのに、ヤクザ事務所のことが、そこでの劣悪な生活や人間たちのことが、忘れられない、というのがたいへんよく伝わってきました。
カラスが真っ赤に染った夕の空へ帰っていく様には、不穏さ、禍々しさがありながら、一方では語り手自身がネオン煌めくヤクザ事務所への帰郷を望んでいるような気配をうかがわせます。
青く広い空の元で気持ちよくタバコを吸っても、蘇ってくるのはシケモクを吸わされていた頃の記憶。
捕まって銃殺される幻覚を見ても、恐怖にかられるどころか、死んだようだった心に活力が満ちてきてしまうほどです。
語り手の心の芯は、あの生活に染まってしまっている、あの世界の中でしか生きられない、というのが本当によく分かりました。
心地よい平穏な暮らしに溶け込めない、溶け込むふりも上手くできない、そういう様子が感情を排したドライな文体から滲んできて、その行間にはなんとも言えない虚無感、やりきれなさ、そういったものが詰まっています。
友情という湿っぽい言葉は似合わない、逃亡仲間との関係も好きです。
仲良しではないし、お互いのことをよく知ってさえいないけれど、みすみす見殺しにもしたくない、という感情がリアルで、水びたしでない所がとてもいいなと思いました。
会話の節々におかしみがあるのも、それぞれのキャラクターがよく出ているのも、良かったです。
やり取りを読んでいて、こういう会話も人も、どこかに存在しそうな気がしました。
ラスト、最後まで見せないところも、余韻があり、語彙力がないので上手く言い表せませんが、すごくかっこ良かったです。
登録:2021/7/13 08:42
更新:2021/7/23 17:15