日本人の少年と、異世界人の少女。互いに別の世界の人間だと気づかぬままに、遊び友達として重ねる交流。 恋愛というにはまだ拙い、保護欲をくすぐられる純粋な好意。甘い男女交際が砂糖菓子ならば、この二人の関係はふわふわとした綿あめ。これが癒し。圧倒的、癒し。 色々と大変な世の中ですから、たまにはのんびり優しい世界に浸ってみるのはいかがでしょうか?
冒頭から、詩愛(しいら)はひとりでいる。 彼女の隣、もしくは向かいに座るはずの浅黄(あさぎ)は思い出の中にしかいない。待っている彼女の立場で言えば、そこに誰も立ち入れない大きな空白だけを残して逃走中なのだ。 出会った時のエピソードや、成功していく過程、彼の失踪など、ラジオの進行に沿う形で、詩愛の回想が差し挟まれる。その中で、浅黄は天才であるが故に、自分の思い通りではない環境の変化に対応することが出来ず、潜水艦を降りたことが語られる。 だがシーラカンスはひとり、耐えて待った。耐えられることが彼女の強さであり、待っていられることが彼女の愛の大きさを伝えてくれる。 この話をキリストが語った「放蕩息子」のたとえ話と重ねるのは、いささかうがち過ぎかもしれない。だが失踪(=放蕩)の末の悔い改めと、迎え入れる側の愛と赦しの大きさは、やはり多くの共通点があるように思う。 私は最初、浅黄は心が弱く、詩愛の脇に空白だけを置いて逃げ出した無責任な男と感じた。だが彼は、ただ弱いだけの人物ではなかったのだ。 もしかすると彼は、詩愛の抱く愛の大きさが見えなかっただけかもしれない。失踪中、彼自身も空白を連れ歩いて、やっと置いてきたものの尊さに気づいたということはありうる話だ。 遠く離れて時間を置いて、それでも彼女が待っていると知り、浅黄は心を決めて戻ってきたのではないか。ぽっかり空いた空白を彼自身と、彼の持つ愛情で埋めるために。 イエロー・サブマリンは再び走り出す。その行く手には祝福が待っているだろう。空白に注ぎ込んでいた愛情を、これからはお互い相手に向けることが出来るのだから。
「最強」を巡る物語。「役割を果たす」こと。弱肉強食。そして競い合うこと。その一方での、仙人や天狗たちのぶっとんだ価値観と。一旦更新停止中とのこと。続きを気長に楽しみに待とう。