なんでだろうな、と思いまして。なんで私はこの作品をよいと思ったんだろうと、それが最初すごく不思議でした。いや、とてもレベルが高いです。そしてこの作品でそれを言われるのは嫌かもしれませんが、非常に上手いです。でもなぜなのだろうと。
少し自分の話をして恐縮なのですが、この作品も私の作品も第一回イトリ川短編小説賞に参加してました。私は思い切り後ろ向きなものを書きました。イトリ川に参加したほんの数週間前に自殺を図って、そしてなぜか継続していく自分の生を半ば呪いながら作品を書きました。この作品と全然方向性が違うんです。でも、とてもいいと思ってしまった。すんなり来てしまって。
その眼差しを持つ自分はいるよなと思ったのでしょうか。私はその感情を実際に持ったことは無いのですが。状況は特殊です。間違いなく読者の九割は弟が正体不明の腫瘍で入院した事なんてないでしょう。同じ状況で同じ反応もしないでしょう。でも少なからず――経験したことの無い――その眼差しは、手の動きは心当りがあるときっと私は思ったし、恐らくそう思った人は何人もいたのです。
手の動きといえば、削除していくのもそうなんですけど、コーヒーを淹れてしまうのが印象的で。その恐らくルーティンであろう動きをそこでやってしまうのがルーティンであるからこそ感情的だよなと。
非常に感情に関して抑制的な作品です。でも知らないはずの、静かに動き続けるその手に共感するのです。弟どころか自分の生すら願えない人間であっても。
登録:2021/10/5 16:45
更新:2021/10/5 16:44