私自身双極性障害の診断を受けたことがあるので、作中アスペルガー症候群の診断を受け動揺する花澄の描写を見て(多分いい意味で)冷静に読むことができず、当該部分を繰り返し読んでしまいました。
とはいえ、まずは最初の方から。情景、音の描写が美しく、作品の持っている空気感に佐倉島さんの作品だなという印象を受けました。作家性を云々できるほど佐倉島さんの作品を沢山拝読しているわけではありませんが、とにかく冒頭から漂う美しい空気感を好ましく思いました。
花澄と凛、対照的なキャラ付けをされた二人。単にキャラ付けとして対照的なだけでなく、凛を語り手とすることで花澄の異質な点が浮き上がるつくりになっています。二人の違いを描く上で効果的な書き方だと思いました。
凛によって語られる普段の花澄のコミュニケーション不良に少し病的なものを感じていると、アスペルガー症候群の診断が出たという話。まだ戸惑っている花澄と、あくまで花澄に対するスタンスを変えない凛。凛は“ドロップ”な、つまり(悪い意味ではなく)周囲とは異質な存在である花澄ととっくの昔から付き合って来たのであり、診断が出ようが花澄自体が変わらないのであれば付き合い方は変わらないのだと。そして花澄との関係性を考えて、自分は“缶”ではなく、花澄と同じく“ドロップ”であり、そのようにこれからも彼女と一緒にいるのだと思う。
実は最初読んだ時スカッとしなくて。なんでかなと考えて理由は分かったんですが、でもスカッとしないのがこの作品の方向性だし狙いだよなと思いました。どういうことかと言うと、私はアスペルガー症候群の診断に戸惑う花澄の描写を読みながら、無意識に“救い”を期待していたんです。“ドロップ”からの救いではなく、“缶”からのトータルな救いを。けれども凛は凛で余裕が無いというか花澄をトータルで救うようなことはできない。その辺りで私はスカッとしなかったのだと。でも、そういう話ですよね。救い救われの一方的な関係ではなく、同じ“ドロップ”としてこれからも付き合っていくという話なのですから。彼女なりのリアルな付き合い方であり結論だと思います。誠実だと思いました。
小説を書きたくなる小説でした。
登録:2021/10/5 17:25
更新:2021/10/5 17:23