どう講評を書いたものか戸惑っています。凄まじい出来の作品でした。“僕”とある瞬間を除いて嘘の仮面を被っていたクラスメイトの物語。
最初のひとかたまり。文章の意味を掴みかねて、けれどもこれは失敗してそうなっているのではなく、意図的なコントロールされたものだなと感じて、どうもすごいものを読んでいるんじゃないかという予感がひしひしとしました。
土砂降りの外とクーラーの効いた教室、或いは静かな図書館。嵐の下とそうでない場所。舞台設定的にも対照的で、だからこそ両者で展開される場面が際立っています。
「ふう」という嘘の仮面を被り続ける十時楓を“僕”こと五十嵐晴は「とときかえで」としか見ない。その“僕”のスタンスは“僕”と仮面を被った母親との葛藤から来るものだととれます。タイプは違うけれども同じく呪いを孕んだ親を持つ楓と“僕”は対照的な道を歩みつつ、けれど根本のところで“ほんとう”に対する「切なさ」にも似た感情は共有しているように見えました。
楓が「ふう」として父親に何を求められていたかを考えると重苦しい気分になります。「――風と木って、似てるよね?」という言葉も読んでいてつらいです。「もっと愛してもらいたいなぁ」と言っているあたり、必ずしも嫌々ではないように見えますが、でもやっぱり彼女は泣いてしまう。嘘でいいからと、とときかえでとして友だちになってと頼む。それに対して“僕”は――。入り交じる嘘とほんとうが、そして青春のひと時を本当に刹那共に過ごした二人の在り方が複雑であり、心をかき乱されるものでした。
冒頭の“黒っぽい空と海の境界線が曖昧になっていってすっかり同化してしまっている”のとは対照的な最後の“空と海の境界が分からないほど鮮やかな青”。あの時見えた景色。楓はああいうことになるのに、この瞬間を切り取った最後は二人が行き着いた先を示していて爽やかで、すごい終わらせ方だなと思いました。
これは講評ではなく感想ですね。読めて本当によかったです。
登録:2021/10/5 17:32
更新:2021/10/5 17:31