訪れなかった死の美しさを想う話、とまとめてしまうと言葉足らずな気がします。その反対側に生きている私、老いていく私が最早動かしようもなくいるからこそ、陰影を帯びる話なのでしょうから。素晴らしかったです。数ある作品の中で、この作品を読ませてくださったことを感謝します。
全体の印象として、「清冽な」作品だと思いました。ストイックなので「清潔な」かなとも思いましたが、想起するのは透明な水の流れだったので、恐らく「清冽な」が近いのでしょう。もう少し言葉に落とすなら、「思ったことはあるかもしれないが、こうは書けない」でしょうか。
死に損なった自分を前提として、美しい死、或いは死の美しさを想うとなると、普通に書いてしまったら自意識とか自己憐憫などの夾雑物が入って淀んでしまいがちなのですけど、この作品はそういう淀みを感じませんでした。十六で死んだ彼女に対して、十八で死ななかった私を見るのですから、自意識が全く無いはずはないのですけど、あるとしても透明に美しかったのだと思います。
「葬儀場にて」は実際のところは彼女の想像ですが、彼の言葉のかたちを取っているので、清潔(こちらは清潔)に読めました。”そういう美しさの幻影を胸に抱いて生きるということは、それ自体がとても美しいと、僕は思いました”と彼のことばというかたちを取るならば頷けます。
全体になんと周到に小説で「私」(作者ということではなく)を書くことの醜さを排しているのだろうかと感じました。もしかしたらもう意識せずにやっていらっしゃるのかもしれませんが。
上手い人に上手いと言っても、もう言われ慣れていらっしゃるかと思いますが、文章自体もああ上手いなあとため息が出るような文章でした。特に「死に損ない」が好きです。クラシカルな品のよさがありました。
拝読できてよかったです。
登録:2021/10/5 17:48
更新:2021/10/5 17:47