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@オノログ

それでも僕は、写真家を真摯な職業だと敬服する。

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 まだ連載中だが、完結まで書ききってほしいのでその一助になればと思いレビューを書いた。


 カメラというのは魔性だ。カメラに魂を抜き取られると言われた時代があったが、現実から時間という概念を捨て、ただ一瞬を切り取るという行為に意味を見出した先人たちは偉大だ。何にせよ、思い出を保存して置けるのだから。


 この作品がシリアスな展開でありながら、それでもスラスラと読めてしまうのは、作者のユーモアが僕たちが物語に没入する手助けをしてくれているからだろう。まるで漫才を見ているようだ。

 ギャグを挟みながら小気味よく、時に人間の確信に触れる物語のリードは、今の僕には真似できない。口惜しいことに僕も創作を嗜んでいるのだが、こればっかりは実際に読んでもらわないと空気感が伝わらないだろう。特にテロリスティック。


 また、家族の根深い問題に切り込みながらも、解決できることと出来ないことを分けて、最後まで依頼者の願いを叶えようとするササキのプロ意識には敬服する。

 そして彼の言った、写真家ほど無責任な職業はない。写真を切り取るのは、一瞬。そして、どんな写真ができるかは撮ってからでないとわからない。

 確かに、無責任とも取れる。しかし僕は、写真家ほど真摯な職業はないと思う。何故なら、不確実であるという結果を知っていたとしても、あえて依頼主が求めているであろう最高の一瞬を切り撮ろうとするからだ。


 誰でもスマホで写真が取れる時代。女子高生でも画質だけならプロのカメラマンにも劣らないかもしれない。そんな時代で、カメラマンの役割とは一体何なのだろう。僕にはまだ答えが出せていない。

鷹仁(たかひとし)@カクヨム

登録:2021/7/16 15:03

更新:2021/7/23 17:15

こちらは鷹仁(たかひとし)@カクヨムさんが読んだ当時の個人の感想です。詳細な事実については対象作品をご確認ください。

同じレビュアーの他レビュー!!

半笑いの情熱

これは今まで語られることが無かった、ある親友への述懐である。

 この話は、光蟲冬茂という光が池原悦弥という影を浮き彫りにする作品である。主人公池原悦弥が小学生時代に受けたいじめは、光蟲という存在がいなければこれまでも、これからも決して語られることはなかったのだと思う。  話の構成としては最初に大学時代の池原の日常を描いている。人付き合いに無関心で自信の興味の範疇で生を満喫しようとする彼は、囲碁と茶道の二つ(あと光蟲)には興味を持っており、それらを軸に話が進む。  池原は過去の栄光に囚われるタイプの人間である。また、自分は優秀だ(った)という自負がある。第八話で高校時代は優秀な生徒だったという描写がある。“勉強は”という但し書きがついてはいるが、大学も上位私立に入り、社会人になった後も大きく道を外さないかぎりは、彼は賢いのでおおっぴらにはしないにしろ、死ぬまでエリート意識を持ち続けそうな人間性である。ただ、この性格も、後々の展開を読んでいけば、仕方のない癖のようなもののように思えてくる。  ちなみに、大学時代にはルノアールなどの喫茶店が出てくるが、私はこの小説を読んで初めてルノアールに足を運んだ。  そういった無気力ながらも淡々と過ぎていく大学時代から、話は小学生時代に移る。  小学生時代、彼は担任である首藤にイジメられる。理由は色々あるだろうが、要因の一つは他人とズレており、可愛くなかったからだと思われる。池原少年は周りよりも大人びており、首藤や取り巻きのクラスメイトたちを自分よりも精神年齢が幼いと思いこむことで自我が壊れないよう保っていたのではないかと思われる。  さらに、池原少年はただイジメられるばかりではなく、首藤の奸計を出し抜いて見せるという賢さも持っていた。  しかしどれだけ耐えても、池原少年に降りかかる理不尽はまだ幼い彼のキャパシティを超えていってしまう。そして限界を超えた時、彼の中で何かが壊れてしまう。  ――余談で、さらにネタバレになるので詳細は控えるが、この話が書籍化するとしたら、表紙は『葉巻を吸う池原母の絵』を一案に上げたいほど、そのシーンは名場面だと思う。  そうして、池原が小学生時代の思い出を光蟲に向けて述懐することでこの話は幕を閉じる。  池原が凄絶ないじめを受けてきて、また孤独の中にあっても生きてこれたのは、各環境で出現する孤独な彼に寄り添う同性の友達と、要所で起きる異性からの救いの手が彼を保ってきたのだと思う。  作者は光蟲を書きたかったと言っていたが、それは半分嘘だと思う。何故なら作者はナルシストであるし、光蟲よりかは池原の人生を見ている方が面白かったからだ。  私はこの話を四周した(2019年8月12日0時時点)。半笑いの情熱は、作者の生き方を描いた原点といってもいい小説だと私は思う。

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鷹仁(たかひとし)@カクヨム

ケタオチ

この町は、落ちこぼれに優しい

 人は光り輝くものをありがたがり、道端に落ちている石ころには目もくれない。  キャリアやブランドをありがたがり、それに群がる人間たち同士が馴れ合い、媚び合い、輝かしい将来のため、上へと登っていく。  資本主義において、上に立つ人間が放つ正論はあまりにも辛辣だ。何故なら、綺羅びやかで人が集まり賛美するものが正義であるから。正論は、弱者を簡単に切り捨てる。  一方で、そういった世界では人が目を背け、侮蔑の対象とする落ちこぼれたちに居場所はない。  出世街道から外れた主人公がこの町で多くの今を生きる人たちに会い、関わりの中で、人情に浸っていく。この空気感が僕は好きだ。  最後の、広中が西成を認めている描写で救われた。広岡は悪いやつではないのだろう。そもそも、悪いやつなんていないのだろう。ただ、皆立場があり、それぞれの生き方があるだけだ。僕も、欲望を叶えることが悪いことだとは思わない。  それでもやはり、上へ上へと背伸びをする社会は少し辛い。  向上を求められる世界の中で、停滞を許してくれるこの町の優しさは、今の時代、あまりにも尊い。 人は光り輝くものをありがたがり、道端に落ちている石ころには目もくれない。  キャリアやブランドをありがたがり、それに群がる人間たち同士が馴れ合い、媚び合い、輝かしい将来のため、上へと登っていく。  資本主義において、上に立つ人間が放つ正論はあまりにも辛辣だ。何故なら、綺羅びやかで人が集まり賛美するものが正義であるから。正論は、弱者を簡単に切り捨てる。  一方で、そういった世界では人が目を背け、侮蔑の対象とする落ちこぼれたちに居場所はない。  出世街道から外れた主人公がこの町で多くの今を生きる人たちに会い、関わりの中で、人情に浸っていく。この空気感が僕は好きだ。  最後の、広中が西成を認めている描写で救われた。広岡は悪いやつではないのだろう。そもそも、悪いやつなんていないのだろう。ただ、皆立場があり、それぞれの生き方があるだけだ。僕も、欲望を叶えることが悪いことだとは思わない。  それでもやはり、上へ上へと背伸びをする社会は少し辛い。  向上を求められる世界の中で、停滞を許してくれるこの町の優しさは、今の時代、あまりにも尊い。

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鷹仁(たかひとし)@カクヨム