朝日や毎日、読売といった強力な大手新聞社を前に「カラー化」で戦いを挑んだ名古屋の新聞社に所属する男。
最終更新:2017/11/28
作品紹介
日本で一番最初にカラー印刷の新聞を発行した新聞社はどこか? 朝日? 毎日? 読売? 違う。 奴らはただの全国紙だ。 そんな強大な力を持つ奴らに立ち向かうため、そして1945年5月14日に見た光景のようなものを情報として日本国民へ伝えるため、「新聞のカラー化」に挑み、そして見事にそれを成し遂げ、天皇陛下すら拝見するほどの偉業を成しえた新聞社がある。 中部日本新聞である。 これはこの中部日本新聞にて戦前より事実上の舵取りを行った加藤登一と、カラー新聞への道筋を描いた記録である。 中日新聞(東京新聞)がまだ妙な思想に陥る前、ただただ純粋に「正確な情報だけを伝えよう」として「カラー化」に挑んだ男。 猪突猛進に掲げた目標に邁進する昭和の日本男児らしい男の記録である。
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