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自覚的な〈物語〉の意志のような何か

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〈つまり、君は読者でなおかつ作者。

 まだ書き終わっていない物語を、もう読み始めている。〉


 という表現を読んで興味を惹かれた方にはぜひ読んでもらいたい作品です。物語の本筋は、渋谷のファストフード店、上野こと語り手の〈私〉と高嶺が待ち合わせするシーンからはじまります。ふたりは別の高校に通う高校生で、高嶺は中学の時にスカウトされてから、タレントをしている。ふたりはその時、ゾンビのフェイク動画をきっかけに、ゾンビの話をし、馬鹿話で終わるはずだったそれが、〈まさかこんな冗談が現実になろうとは。〉


 というのが、物語本筋の導入になるのですが、あんまりこんな導入を説明しても意味がなくて、〈物語本筋〉と曖昧な言い方をしているように、本作は〈物語〉が〈物語〉であることに自覚的である〈物語〉になっていて、よく見掛けるパニックものの作品が、新しく鮮やかな光を放つような作品になっています。物語そのものに対して違和感を覚えたことのあるひとには、ぜひ読んで欲しい作品です。


 物語の内容について、これ以上はあまり語らないほうがいいでしょう。虚構から裂け出た虚構が放つ強烈な自意識が絡む、切なくも高潔さが感じられる、素敵な余韻がすごく好きです。

サトウ・レン

登録:2021/11/14 01:28

更新:2021/11/14 01:28

こちらはサトウ・レンさんが読んだ当時の個人の感想です。詳細な事実については対象作品をご確認ください。

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EGGMAN

終わりに見る光景は

〈おれはとてもしあわせだった。〉  終わりに見る光景がどんなものがいいかって、たぶん、終わりも知らない人間が気軽に語っていいのだろうか、とは思うのですが、でももしも終わりを前に、しあわせ、を感じるとしたら、彼が終わりに見たような色彩なのではないか、と感じました。  日本で発症を確認されたのがおそらく二例目とされる奇病中の奇病、俗に〈エッグマン病〉を発症した〈俺〉は、体が縮みハンプティ・ダンプティのようになっていく病魔に蝕まれながら、入院先で孤独に過ごした。そして退院の日、身寄りのない状況に困っている〈俺〉を迎えにきてくれたのが、幼馴染のモモこと桃園陽一だった。モモは縮んでしまったりはせず、そしてふたりは旅に出ることになった。……というのが、導入です。ですが、奇病の妙なリアリティ、旅の中で見る景色、感情を交わしていくふたりの姿の魅力は、縷々とあらすじを綴ってみたところで伝わるものではないでしょう。ぜひとも私のレビューなんかよりも、本文を読んで欲しいところです。 〈モモがペダルを漕ぎ出すと、世界の感覚が一気に変わった。最初はかなり揺れて気分が悪かったが、しばらくするとおれは残された手足を使って、クッションを敷いたキャリーの中で居心地のいい姿勢をとれるようになった。〉  何故、会社をひと月休んでまでモモが、〈俺〉と一緒にいることを選んだのか、そこに関する一応モモの口から語られる部分はありますが、必要以上に、詳らかに明かされることはありません。でも分かりやすい言葉を当てはめるよりもそのほうがずっと、心を寄り添わせやすい。  進行の続く病のいまを写し取るような変わっていく文体に、彼らのいまを感じ取りながら、幕を閉じて、切なくも静かな余韻に包まれる感覚がありました。

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サトウ・レン