高校入学前の春休みにアルバイトとして、隣り街に住む老婦人の家で引っ越しの手伝いをしていた〈ぼく〉は、手伝いの謝礼としておばあさんから受け取った一万円を貯金しようと、銀行のATMの入金を試みるが、何度やってもはじかれて戻ってきてしまう……。その時に、ようやく〈ぼく〉はそのお札が本物と違っていることに気付く。
ということで、ここからがネタバレ込みの感想ですが、まだ読んでいない方は、ぜひ作品のページに進んでくださいね。
本作は親切そうなおばあさんに騙されたと思い込んで、もやもやとした気持ちを抱えた少年が、世の中の昏さ、現実の厳しさを知る……という物語ではもちろんなくて、隣人のおじさんと出会ったことによって、それが現在の一万円ではなく、〈旧札〉だったと〈ぼく〉は知ることになります。明記されている時代背景を考えると、福沢諭吉の旧札を〈ぼく〉は眺めていたのでしょう。
そう、ここで読者は本作がほっこりとした、日常の謎系統の作品だった、と知る、
……というわけでもなく、
実はこの作品、ここからはもうひとつ新たな展開が用意されています。一万円札を新札と交換してくれたおじさんに感謝しながら家まで帰った〈ぼく〉には知る由のないことですが、実はおじさんは骨董品収集が趣味でそのお札がプレミア価値の付くものだと気付いて、親切ではなく下心からお札を交換していたわけです。自身の儲けのために少年に嘘を吐いたおじさんは天下の大悪人ではないですが、小悪党というか、小狡い印象を抱いてしまう人物で、そんなおじさんに天罰が下るように意外な事件の存在が浮かび上がってきます。
そんな本作はユニークで、穏やかな読み心地の中に、甘さだけではない、苦味を混ぜたような良質さがあります。
登録:2021/11/14 01:38
更新:2021/11/14 01:37