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静かな余韻が残る逸品。

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 午前零時、アプリ「零時のイルカ」に見せられる夢の中では、夜のみ開かれるカフェが開かれていて、年齢も性別も違えど、昼間の世界に生きづらさ感じる人達が思い思いに過ごしている。たんぽぽさんこと高校生の〈私〉はいつものようにここを訪れて、そこには管理AIのイルカさんがいて、見知った顔がある。でも知り合った人たちがいつまでもここにいるとは限らない。「零時のイルカ」は、生きづらさを抱えた者たちの生と死の境界にありながら、死を選んだ人達が最後に羽を休める場所としての役割を持つからだ。そして彼らは、後へと続く者達に同じ道を歩まないで済むように願いを託していく。


 ネタバレはせずに書きますが、私の文章を読むより、ぜひ作品のほうを読んでもらいたいものです。




 例えば、あなたは〈正しさ〉に心が呼吸を止めそうになったことがありますか?


 硝子細工のように繊細な感情を揺らしながら、語り手が自身を見つめていく本作は、息が苦しくなるようなその感覚を持つひとにとっては心を寄り添わせたくなり、その感覚を経験していないひとなら新たな視野が広がるだろう、落ち着いた語りの、懐の広い物語になっています。なぜ死に、なぜ生きるのか、多くのひとが考え、多くの物語の中で描かれながら、どれだけの時間を経ようとそのための言葉が紡がれ続けるのは、誰もが納得できる誰かの答えが存在しないからでしょう。誰かにとって大切な誰かの答え(本作において、それは語り手になります)としての〈生〉と〈死〉への想いが浮かび上がってくるからこそ、胸を打たれるのかもしれません。私はそんな風に思いました。


 静かな余韻が残る逸品です。

サトウ・レン

登録:2021/11/14 01:49

更新:2021/11/14 01:48

こちらはサトウ・レンさんが読んだ当時の個人の感想です。詳細な事実については対象作品をご確認ください。

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EGGMAN

終わりに見る光景は

〈おれはとてもしあわせだった。〉  終わりに見る光景がどんなものがいいかって、たぶん、終わりも知らない人間が気軽に語っていいのだろうか、とは思うのですが、でももしも終わりを前に、しあわせ、を感じるとしたら、彼が終わりに見たような色彩なのではないか、と感じました。  日本で発症を確認されたのがおそらく二例目とされる奇病中の奇病、俗に〈エッグマン病〉を発症した〈俺〉は、体が縮みハンプティ・ダンプティのようになっていく病魔に蝕まれながら、入院先で孤独に過ごした。そして退院の日、身寄りのない状況に困っている〈俺〉を迎えにきてくれたのが、幼馴染のモモこと桃園陽一だった。モモは縮んでしまったりはせず、そしてふたりは旅に出ることになった。……というのが、導入です。ですが、奇病の妙なリアリティ、旅の中で見る景色、感情を交わしていくふたりの姿の魅力は、縷々とあらすじを綴ってみたところで伝わるものではないでしょう。ぜひとも私のレビューなんかよりも、本文を読んで欲しいところです。 〈モモがペダルを漕ぎ出すと、世界の感覚が一気に変わった。最初はかなり揺れて気分が悪かったが、しばらくするとおれは残された手足を使って、クッションを敷いたキャリーの中で居心地のいい姿勢をとれるようになった。〉  何故、会社をひと月休んでまでモモが、〈俺〉と一緒にいることを選んだのか、そこに関する一応モモの口から語られる部分はありますが、必要以上に、詳らかに明かされることはありません。でも分かりやすい言葉を当てはめるよりもそのほうがずっと、心を寄り添わせやすい。  進行の続く病のいまを写し取るような変わっていく文体に、彼らのいまを感じ取りながら、幕を閉じて、切なくも静かな余韻に包まれる感覚がありました。

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サトウ・レン