感情を込め、夢中になって歌うことを、絶唱、と言います。もちろん私は作者ではないので、作者の実際の感情を、本心を、知ることはできないわけですが、この作品を読むたびに、絶唱するように言葉を紡ぐ作者の姿は明瞭になっていきます。作者の本心は知りません。ただ私がそう感じただけの話なのですが、すくなくとも強烈な感情を見出してしまった私には、この作品は時に劇薬にもなります。
読むたび、と書きましたが作者とは別のサイトで知り合った私(※これはカクヨムに寄せたレビューです)は、三つのサイトにおいてこの作品に触れる機会があり、多分通読で五回は読んでいると思います。これは別に回数を誇りたいわけではなく、一回でも私よりも丁寧に読み解いてしまえるひとは多いでしょう。数はどうでもよくて、私にとって大事なのは、この作品を読むごとに変化する私の作品に対する感情で、読むのを繰り返すごとに、この作品に言葉を費やすことへのためらいが生まれるのです。私にとってこの作品はどこまでも愛おしい、でもこの作品への愛を語れば語るほど、私の拙い愛情表現によって色褪せていくのではないか、という恐怖にも似た、そんなためらいです。
それでもやっぱりこの作品は素晴らしい、ということでレビューを書こう、と。
塾講師のバイトのかたわらウェブ小説を牧伸太郎というペンネームで書いている〈俺〉の自宅に、その〈牧伸太郎〉の名を口にする青年が訪れる。出版社の人間が来たのかもしれない、と一瞬の甘い希望も打ち砕かれ、そしてその人物が黒崎啓一であることを知る。黒崎啓一は〈俺〉の創った半自伝的小説に登場する〈俺〉の生き写しであり、美化された〈きれいな〉面も持ち合わせていた……。そんなメタフィクション的な要素を取り入れた本作には、生き写しであるからこその、強い共感と、そんな相手にだからこそ抱く葛藤があります。鏡と対話するように本音をさらけ出せる相手の存在って、ちょっとした憧れかもしれません。
もちろんネタバレはできないので細かくは書きませんが、前編の終盤以降、〈俺〉は、人間の死生、救い、そして作家の業と対峙していき、その中で自分なりの答えを出し、物語は決して読者にその答えの〈正しさ〉を強いようとはせず、私なんかはそんなところにすごく魅力を感じてしまいます。
この物語は〈なぜ人は生きるのか〉という問いへの安易な解答の空虚さを知っているし、生や救いへの違和感にもがいている。だからその絶唱の果てに待つ余韻が、刺さる、のかもしれない。好きだな……、本当に。
登録:2021/11/14 01:22
更新:2021/11/14 01:21