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ハルピュイアはまだ恋を歌えない

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〈その風に乗って、時おり歌のようなものが聞こえることがある。谷に住むどの鳥にも似ていない、美しい羽根が町に落ちていることもあった。人々はいつしかこう信じるようになる──「この谷は天使様に守られている」と。〉


 かつて「風歌の谷」という名の渓谷があり、そこに住む仕立て屋の若者が山をのぼっていた。聡明で美しいお嬢様に恋をしたからだ。薔薇の姫君と呼ばれる彼女のため、高所にしか咲かない峰雪草の花を摘みに。崖の淵で身体の支えを失って転落した若者は、死を覚悟したが、それを救ってくれたのは、風歌姫(ハルピュイア)だった。


 情景豊かに紡がれていく物語が辿っていく道行は、幻想的な美しさを持ちながらも、険しく残酷さをはらんでいます。わけ隔てない善良さと素朴な性格を持ち合わせた若者、難題を突き付けながらも冷えた心がとかされていくお嬢様、そして恋の歌を知らない風歌姫(ハルピュイア)。どこかで彼らの幸せを願いながらも、そうはならないのだろう、という諦めにも似た気持ちを抱きながらも、先を知りたい、という気持ちを抑えきれずに読み進めていき、読後、ちいさく息を吐く。余韻は苦い。だけど、心にしみるのは、私たちがすでに知っているからでしょう。


 この苦味は大切な誰かとやり取りを重ねて、そして失って、はじめて知るものなのかもしれません。


 知ってしまったのでしょう。ハルピュイアは。

 だけど知らなかったら、その苦味さえ知らないままだったら。

 そんなふうに思ってしまうわけです。

サトウ・レン

登録:2021/11/14 01:31

更新:2021/11/14 01:31

こちらはサトウ・レンさんが読んだ当時の個人の感想です。詳細な事実については対象作品をご確認ください。

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終わりに見る光景は

〈おれはとてもしあわせだった。〉  終わりに見る光景がどんなものがいいかって、たぶん、終わりも知らない人間が気軽に語っていいのだろうか、とは思うのですが、でももしも終わりを前に、しあわせ、を感じるとしたら、彼が終わりに見たような色彩なのではないか、と感じました。  日本で発症を確認されたのがおそらく二例目とされる奇病中の奇病、俗に〈エッグマン病〉を発症した〈俺〉は、体が縮みハンプティ・ダンプティのようになっていく病魔に蝕まれながら、入院先で孤独に過ごした。そして退院の日、身寄りのない状況に困っている〈俺〉を迎えにきてくれたのが、幼馴染のモモこと桃園陽一だった。モモは縮んでしまったりはせず、そしてふたりは旅に出ることになった。……というのが、導入です。ですが、奇病の妙なリアリティ、旅の中で見る景色、感情を交わしていくふたりの姿の魅力は、縷々とあらすじを綴ってみたところで伝わるものではないでしょう。ぜひとも私のレビューなんかよりも、本文を読んで欲しいところです。 〈モモがペダルを漕ぎ出すと、世界の感覚が一気に変わった。最初はかなり揺れて気分が悪かったが、しばらくするとおれは残された手足を使って、クッションを敷いたキャリーの中で居心地のいい姿勢をとれるようになった。〉  何故、会社をひと月休んでまでモモが、〈俺〉と一緒にいることを選んだのか、そこに関する一応モモの口から語られる部分はありますが、必要以上に、詳らかに明かされることはありません。でも分かりやすい言葉を当てはめるよりもそのほうがずっと、心を寄り添わせやすい。  進行の続く病のいまを写し取るような変わっていく文体に、彼らのいまを感じ取りながら、幕を閉じて、切なくも静かな余韻に包まれる感覚がありました。

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サトウ・レン