おじさんの未来に祈りを✨
以下、勝手な考察です。
つまり、握力200トンは少女の安全を担保するためのもので、それ以上でも以下でもない。少女にもたらされたのは枷以外の束縛がない自由で、楽しかったんだろう。それは終わることが決められた夏休みのようなもので、つまりこれは少女の物語ではない。
語られないおじさんの物語だ。
おじさんは名前で呼ばれない。
少女を名前で呼んだのは見える場所では最後だけだ。
足りないものはなんだ?
おじさんは悩む。どうすればいいのか答が見つからずに。
その後、見つからない答を探すのを諦めたのか、正しさで測るようになる。
正しいわけは、最初からなかった。
罪悪感は感じられなかった。ひたすら自分の人生の突破口を探しているように見えた。
その一助として少女を誘拐したのに見つけられなかった。
諦めたのか。少女の行く末も考えたのか。
「幸せになりなよ」
おじさんの代わりに?
非日常というけど、書かれているのは日常だ。
もしかすると、それが作家の色なのかもしれないね。
「日常作家」の称号を進呈しよう。
でも、暗いんだ、空が。
少女の空が暗かったら、おじさんの自首が無駄になってしまう。
これは失ったからだ。少女は何を失ったのか。
感傷だと思ったが違うらしい。
誘拐前、誘拐後、自首後はシームレスに移行して、何ら障害はなく葛藤もない。
家にいても特段語られるほどの不都合はなさそうだ。
とすればひとつしかない。
そうか、少女はおじさん自身を失ったんだな。
とすれば、おじさんは少女との未来が見えなかった。
これは恋愛のメタファーかな。
久しぶりに色々考えられて嬉しかった。納得したので、終わります。
楽しかった。
登録:2021/9/2 21:13
更新:2021/9/2 21:14