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作:しのき美緒

ジョジーはもうしゃべらない

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未評価

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最終更新:2021/11/28

作品紹介

1992年東京。前年にバブルが弾け、多くの人々の人生が狂っていく。小学5年生のナオも否応なく巻き込まれ、引っ越しと転校を余儀なくされたが、新しい暮らしに馴染めない。いじめに耐えながら大好きだったあっちゃんからのプレゼント・くまのジョジーのぬいぐるみを友として生きていた。 ジョジーはいつも優しくナオを励ます。 成長したナオに届いた同窓会への招待状。しかし、その場所には何年も使われていないような空き家が一軒。そこへ現れたのはあっちゃんだった。 あっちゃんとともに自分の家にいってみるが、そこも変わっていた。 ナオは自分の帰る家はもうなくなったのだと自覚する。 家で待つジョジーにはピンチが訪れる。 表紙作成;ファンシーコウ様

短編青春・ヒューマンドラマヒューマンドラマ

評価・レビュー

ナオは家族とともに(En famille)

貴種流離譚、という物語の類型がある。 「小公子」や「小公女」などがその典型だろう。高貴あるいは富裕な身分の出身ながら、本来の環境から離れて育つ主人公の物語だ。 間違いを恐れずに言うと、ナオは現代版・貴種流離譚のヒロインである。ひねくれた見方かもしれないが。 渋谷区の松濤といえば音に聞こえた高級住宅地であり、そこで生まれ育ったナオが属する場所は、川向こうの下町ではない。 賢い彼女は父の失職と同時に、それまでの生活を永遠に失ったことを理解したはずだ。それでも彼女は諦めなかった。新しい環境に適応しても、けっして馴染まず、いつかはそこを脱出しようと目論んでいたのだ。 もし仮に、転校先でいじめに遭わずとも、父が存命でも、母がしっかりした人だったとしても、彼女はきっと松濤を目指したことだろう。 現代社会では、ただ機会を待っていても、向こうから手を伸べて迎え入れてくれることなどない。ナオが自ら最善手を選んだように、自力でそこへ至る努力と、その生活を得るに相応しい才覚を示す必要がある。 その為にナオは不断の努力を続けている。だからこそ、「落ちぶれても松濤マダムのつもり」でいる母親を嫌わないまでも、軽蔑しているのだ。 だが対照的な気質のふたりは、実は「現実を認めない」という点で、完全に共通しているように思う。私には両者の違いが、一方が積極的であるのに対し、もう一方が「自分を変えない」という消極的行動を取り続けている、というだけの違いに見えるのだ。 哀しいことにふたりには、父親を亡くして、わずかな希望が断たれたことも分かっている。渋谷区の土地を買い戻すには、並大抵の年収では足りないからだ。 だからこそ父の死はナオにとって衝撃であり、泣き崩れたのだろう。 その後の彼女の告白は、必ずしも真実とは限らない。彼女が「とめどなく吐き出した」のはすべて、父親への感謝の言葉だっただろうか? そのときジョジーが静かに聞いていたという一文は、何かを物語っているようでもある。 かつて住んでいた家の前に立ったナオは、「わたしはどこに行けばいいんですか?」と胸の内で問いかけている。私にはそれが、生まれ育った場所を離れ、下町にはいられず、故郷にも戻れない彼女の悲鳴に聞こえた。 私はひねくれ者である。 皆様にはぜひお読みいただいて、それぞれの解釈をしていただきたい。 出来れば、夢のある見方で。

5.0

はやくもよいち

子供の世界は楽しいなんて、過ぎ去った年月を忘れた大人の記憶違いだと思います。 子供でも、辛いことや苦しいことを抱えていることはある。 大人の事情で、それを負わされている子供もたくさんいる。 そんな時、空想の世界と遊ぶことは、もしかしたらとても大切な所作なんじゃないかと思った。 それを現実逃避と笑う、或いは不健全なことと捉える大人もいるかもしれない。 だが、空想の世界だけでも美麗なものを持てるから、子供でも現実と折り合いをつけることができる。 そこに物語性があれば、そこから新たな自分を見つけることができるかもしれない。 私も、学校で話の合う友達はほとんどいなかった。 そんな時、海なし県の生まれなので、家族旅行で行った海で買ってきた様々な魚のぬいぐるみで、 妹と一緒に物語を作るのが好きだった。 それがもしかしたら今の創作活動につながっているのかもしれない。 そしてもしかしたら、それがまた誰かの癒しになるなにかを作ることにつながるかもしれない。 そんなことを、ビターな味わいの上に思わせる一作でした。

5.0

さねもとじゅん

気持ちの行方

最後まで読んでみると、タイトルの意味がわかる。二度三度読むとさらに味わい深くなる。とても趣のある作品だなあと思いました。 しんどいことつらいことが重なると人は、自分の想いを自分のなかで抑えておくことができなくなりあふれ出してしまう。でもその気持ちはどこへいくのだろう。この物語は恋愛小説のかっこうをした母と娘の物語だ。 二人はとても対照的で、都度都度発散する母親とは違い、娘はぬいぐるみのジョジ―のなかに隠す。ジョジ―がしゃべりだすほどに。 手違いなのか、それともわざとなのか、もしくはファンタジーなのか、それは読者の判断にゆだねられているが、主人公は、ジョジ―をくれた男の子と再会する。そしてその間に母親がジョジ―の秘密を知る。 この対照的なシーンが、秀逸だ。 これは和解の物語だ。 母と娘が和解したのではない 母娘が同時に、自分以外の「世界」と和解したのだ。 できれば、僕のレビューを読んだ後、もう一度この作品を読んでほしいと思う。特に母親がジョジ―を洗おうとするシーンを。 そのあと、ジョジ―がもうしゃべらないということを、わざわざ書かない憎らしい演出を、味わってほしいと思う。 読めば読むほど、作家がかくしたいろいろなものが、みつかると思う。 なので、僕はきっと何度でも読み返す

4.5

ファンシーコウ@BEKKO BOOKS(短編集「天使はいかがですか?」3月4日発売)