1941年9月、ベルリンが陥落、独が無条件降伏したとはいえ、ソ連と共産中国は未だに健在であり、第二次世界大戦は続いていた。 こうした状況のために欧州に赴いていた日本軍、海兵隊等は、引き続き対ソ戦に投入されることになっており、逆に欧州に日本から部隊を送り込む動きさえ起こっていた。 とはいえ、季節が秋から冬へと向かっていることや、ソ連本土侵攻となるとかなりの準備が必要となると見込まれていたことから、米日英仏等は中立諸国に参戦を呼びかける等、足場固めに奔っていた。 そうした中、欧州ではドイツ人追放等、民族、宗教の迫害が起こりつつあった。 また、「禁断の兵器」の開発も進んでいた。
更新:2018/10/19
評価
レビュー
読んだ
気になる
読んでる
1939年8月上旬、土方勇は、新妻の千恵子との新婚生活を始めていた。 愛する妻と新生活を過ごしたいものだ、と思いつつも、妻に明かせない秘密を、新婚前から抱え込むことになったことを、勇は考えざるを得なかった。 妻の千恵子は、全く知らない妻の(おそらく)異母弟、フランス陸軍士官であるアラン・ダヴー、彼のことを、祖父から知らされ、更にその義弟と共闘することを示唆されては。 日本は、再び世界大戦に巻き込まれ、参戦しようとしている。 日本軍、海兵隊は、再び欧州へ赴こうとしている、と勇は考えざるを得なかった。 実際、世界情勢は、急激に悪化する。 1939年9月1日、独ソのポーランド侵攻により、第二次世界大戦勃発、日米も直ちに参戦する。 そして、勇は海兵隊の一員として、欧州へと赴くことになる。
更新:2017/10/27
評価
レビュー
読んだ
気になる
読んでる
1930年1月、土方勇志伯爵は、海軍軍縮会議に参加するためにロンドンにいた。 1929年10月に起きたウォール街大暴落は収まり、世界経済は安泰のように思われていた。 日本もそれに合わせて、新平価による金解禁を断行、日本経済の立て直しを図ろうとしていた。 このまま、平和が続けばいい、土方伯爵はそう望んでいた。 だが、その望みはかなわなかった。 海軍軍縮を巡り、日本海軍本体は分裂、海兵隊もそれに巻き込まれる。 更に、世界経済は破綻への道を歩み、日本経済も混乱に陥る。 こういった状況下、「満蒙は米韓の生命線」として、米韓による満州事変が勃発、日本は同盟国の誼から、満州への派兵を余儀なくされ、その尖兵をサムライ、海兵隊は務めることになる。
更新:2016/10/20
評価
レビュー
読んだ
気になる
読んでる
1918年春、土方歳三提督の初孫になる土方歳一は海兵隊少尉に任官し、南仏に派遣された。 第一次世界大戦に日本が参戦して4年が経ち、日本は欧州に海兵隊、航空隊、艦隊を派遣、のべ10万人以上が欧州の戦野で血を流していた。そして、土方少尉もその一員として戦うことになったのだ。 同じ頃、各国軍上層部も今年中に大戦を終わらせようと決意していた。最早、米国を除きどの国も疲弊しきっていたのだ。それぞれの国の決意が、最後の激戦の幕を開けようとしていた。
更新:2016/2/7
評価
レビュー
読んだ
気になる
読んでる
1935年末、日本海兵隊は、戦車の独自開発に乗り出そうとしていた。土方歳一中佐は、その事実上の責任者として奔走する羽目になろうとしていた。 同じ頃、米内光政海兵本部長は、海兵隊の現役を引退しての転職の誘いを、海兵隊の先輩でもある斎藤實首相から受けていた。 そして、世界大恐慌からくる世情の不安は、各国を軍拡に奔らせつつあった。 日米のロンドン海軍軍縮条約から脱退通告は、その始まりを告げ、日米英は戦艦や空母といった主力艦の建造を決めた。 現役から引退していた土方勇志提督にも、自らは知らない内に、西へ表向きは義勇兵として戦場へと赴く時が迫っていた。
更新:2017/2/19
評価
レビュー
読んだ
気になる
読んでる
日露間で軍靴の響きが高まり、土方勇志海兵隊少佐は、出征への準備を整えつつあった。旅順港閉塞作戦が失敗したら、海兵隊1個師団で旅順要塞を速やかに攻め落としてくれたまえ、伊東軍令部長は海兵隊にそう命じた。海兵隊は無謀な命令に反発した。日露間で戦争がはじまり、旅順要塞へ、奉天へと海兵隊は激闘を強いられる。更に周囲は様々な思惑で動き、海兵隊は翻弄される。
更新:2015/6/20
評価
レビュー
読んだ
気になる
読んでる
1920年早春、4月1日からの日本空軍創設に伴い、日本の陸海軍は大人事異動を発令していた。 長かった世界大戦が終わり、当分の間、平穏な日々が続くことを日本を含む世界の人々は願っており、世界大戦の欧州派兵で大きな傷を負った日本国内では、平和の果実を味わいたいという声が高まってもいた。 大正デモクラシー、軍縮の嵐が吹きすさぶ中、日本海兵隊、サムライも刀を置こうとし、大規模な軍縮を計画していた。 だが、中国やインド等、アジアの民族運動の高まりが、サムライに刀を置くことを許そうとしなかった。 そして、国内も世界大戦後の不況、関東大震災、金融恐慌から世界大恐慌と不安定な時代を迎えようとしていた。
更新:2016/6/24
評価
レビュー
読んだ
気になる
読んでる
※作品の評価点について
登録数が少ない期間は単純平均点で表示します。
より多くの作品数・レビュー数になったら新評価式を適用します。
書籍化/コミカライズのタグについて
該当作品の書籍化・コミカライズ判定は、プログラムによる自動判断です。厳密な確認事項でないことをご了承ください。